雑多に書いてます
今日の脳直
遅くなりましたが今日のやつです
ちょっと体調崩してしまったので描くの遅れちゃったけどノルマ達成!
やった〜

あとこれは個人的な話なんだけど、檜垣女の解読してた時
わざわざ文章をデジタルノートに手書きして、それにマーカー引いてってやってたんだけど
パブリックドメインの本だから普通にPDFデータをDLしてそれに書き込めばよかったんだ。
というわけで次からそうしよう。
#脳直
遅くなりましたが今日のやつです
ちょっと体調崩してしまったので描くの遅れちゃったけどノルマ達成!
やった〜
あとこれは個人的な話なんだけど、檜垣女の解読してた時
わざわざ文章をデジタルノートに手書きして、それにマーカー引いてってやってたんだけど
パブリックドメインの本だから普通にPDFデータをDLしてそれに書き込めばよかったんだ。
というわけで次からそうしよう。
#脳直
古文を翻訳する年末
最終更新日:2026/01/03
仕事の合間を縫って、東西遊記 の翻訳を始めた。
どうせ読んでも一つもわからないだろうと思っていたけど
天明も、肥後も、岩戸も、五百羅漢も、聞き覚えがあった。
一つ一つの意味を読み解いていくとちゃんと分かって嬉しい。
ー個人的、古文の楽しい翻訳方法
例えば「天明」ってなんだろう?「侍る」ってなんだろう?って思ったらググって調べてます。
で、自分なりに文章を訳したらGeminiくんに見せるんです。
そうすると、Geminiくんは「あってます!因みにこの文章は〜」
と因んでくれますが、とりあえずスルーして褒めてもらってモチベにします!
あとはそれを続けるだけ!
閉じる⇧
----------------------------------------------
天明3年の春⑴、熊本の岩戸の観音の巌窟⑵に五百羅漢作ってくれ〜って言われて何とか作ったみたいだよ!
注1(癸夘 は干支のことで卯年らしい)
注2(調べたところどうやらそこは今の雲巌禅寺 のようです)
って冒頭のようです。
天明は確かクレヨンしんちゃんの戦国映画のやつで聞いたことがある!
…と思ってたんですが、どうやらそれは天正だった。
天正は天明より200年くらい前だったよ。
肥後は、あんたがたどこさで聞いたことがあるなぁって思いました。
「肥後さ肥後どこさ、熊本さ」ってやつです。
だから肥後=熊本っていうのはすぐわかって嬉しかったですね。
岩戸は日本神話の天岩戸で聞いたことがあったので関係あるのかなと思って調べたら
この岩戸というのは雲巌禅寺の周辺のことらしい。
天岩戸と関係あるのかなと思ってWikiを調べたら…
何と、全く書いていない。
単に名前が同じだけっぽい。
五百羅漢は何で知ったのかなと思ったんですが、1、2年前にアマプラで
エスパー魔美を観たんです。その時、山籠りして地蔵を何体も掘ってる人の話があって
そんなことあるんだなぁって思いながら調べた時に見かけたんだと思う。
この調子で頑張って翻訳したらNoteとかにまとめたいね。
この本は江戸の本なのでいわゆるパブリックドメインで、
引用元さえしっかり記載していればOKとのことでした。
ひとまず今回はこの辺で。
※国立国会図書館のデータでは『橘南豁』と表記されてるけれど、一般的には南谿が正しいみたい。活字出版の時の誤表記?とかなのかな?
檜垣女
天明3年の春、肥後(熊本)の岩戸の観音の巌窟に、「五百羅漢を作って置きたいなー!」というある人の願いがようやく叶った。
更に、「もっと洞窟の高いところにも置きたくなってきたなぁ…」とみんなで計画したものの、洞窟の高いところなんて簡単に行けない。そのため石工をふごに入れて、縄で山の峰から吊り下げて、なんとか洞窟の高いところに行って、岩に穴を開けた。
岩には一箇所柔らかい場所があって、「妙だなぁ?」なんて思ってよく見ると、石の箱が一つ埋まっていた。
みんなで集まって開けてみると、中に一つ石箱があり、その蓋に“檜垣女形自作”と書いてあった。蓋を開けば小さい像が入っており、像は陶器のように見えた。こりゃ自分らで考えてもわからないなと思い、熊本の役所、つまりは時習館(藩校時習館)に伺った。
館の学士たちが集まってそのことを書き記したり、像を模写したり、石に彫り紙に写し、あちこちもてはやした。
その頃自分(橘南谿)も熊本にいて、人々にこの話を聞きまして、その図を何となく頼んで土産として手に入れてしまった。
この檜垣の女は有名でいろんな書物で見かける。(ここの文章修正した)
”その後、撰集17巻を筑紫(今の福岡周辺)というところに住んでいるとき、藤原さん(大弐藤原興範朝臣)お出かけがてら「お水飲んでいい?」と立ち寄ってくれたので、水をお出しして図面を差し上げたよ。
あれから年月経ったし、年老いたなぁ…。”
(その後〜年老いたなぁ…あたりまではどうやら檜垣女の文を現代…というか橘南谿さんの時代となぞらえて洒落た感じに引用してるっぽい。どう表現したら良いか悩みどころ)
また、扶桑拾葉集第2巻に檜垣の家シリーズが載っていたよ。
それに、大和物語には純友の戦乱の追討使を任された小野好古が檜垣の家を訪ねたけど、酷い有様だったって書いてた。さらに、謡本にも、昔筑前の太宰府に檜垣の小屋が設備され、大人気アイドルの白拍子が住んでたんだけど、落ちぶれちゃってこの白川のほとりに住んでたんだってさ。
檜垣の女は「自分がみすぼらしい白拍子になってしまったらなぁ」
なんて詠って詩に長け、一斉を風靡し、更に1000年後を予期して
人が訪れないところに自分の像を作って箱に入れたんだろう。
志はほとんど衰えていないなぁ。
だから好古の話も本当のことかもね。
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今のところここまで。
さらっと檜垣女形自作なんて書かれて箱に像入ってたら普通怖いなって感覚が湧くと思ったんだけど
昔の人ってのんびりしてるね。「わ〜!なんだろこれ!せや!学者さんたちに見せたろ!」ってなったんだね。
でも、橘南谿さんは妖怪を取り上げてる人って印象が強いし
これも怪談なんだろうという前提条件ありきで読んでいるからそう感じてしまうのかもしれない。
因みに藤原さん(大弐藤原興範朝臣)とのお水を渡すやり取りはどうやら檜垣女の伝説 になぞらえているらしい。(これは私がGeminiくんに「檜垣女の伝説にも同じ文面が書いてあるけどどうして?これって橘南谿さんの言葉じゃないんですか?」と訪ねたら教えてくれた。)
どうやら橘南谿さんは、檜垣女の伝説を知っていたから、同名で同じ役職の藤原さんが訪問した際に「こんな伝説があってさぁ、おんなじ名前だしあげるね」って感じで図面を渡した事を、檜垣女の伝説になぞらえて書いたらしい。粋だ。
正直檜垣女(嫗)のことももうちょっと詳しく調べたいです。
老いについて歌ってた方の像が発見されるってなんだか不思議。
像って歳月によって劣化はするけど、年老いたりしないからそのままの形で残してあげたいみたいな人が作ってくれたのかな。
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江戸の人たちが可愛い。
「洞窟の高いところにも像置きたくない?」って話し合ったり
「じゃあさあ、縄持ってさぁ、ふごでさぁ…運んじゃおっか!石工!」って言い合ってたのかな。
今完全に江戸の人たちがハチワレのイメージだった。
しかも学者さんたちも「わー!なにこれー!」って模写したり本に載せちゃったり。
あと、これは南谿さんがすごい人だというのもあるんだろうけど、朝臣がフラッと家に立ち寄って
「水飲んでいい?」って来るのすごい。現代じゃ考えられないよ。
そういう江戸時代の人たちの息遣いが感じられるのすごく良い。
みんながずっと楽しそう。
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#古文 #橘南谿 #東西遊記
最終更新日:2026/01/03
仕事の合間を縫って、東西遊記 の翻訳を始めた。
どうせ読んでも一つもわからないだろうと思っていたけど
天明も、肥後も、岩戸も、五百羅漢も、聞き覚えがあった。
一つ一つの意味を読み解いていくとちゃんと分かって嬉しい。
ー個人的、古文の楽しい翻訳方法
例えば「天明」ってなんだろう?「侍る」ってなんだろう?って思ったらググって調べてます。
で、自分なりに文章を訳したらGeminiくんに見せるんです。
そうすると、Geminiくんは「あってます!因みにこの文章は〜」
と因んでくれますが、とりあえずスルーして褒めてもらってモチベにします!
あとはそれを続けるだけ!
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天明癸夘の肥後國岩戸の観音の巌窟の中に、或人願ひの事有りて五百羅漢を石もて彫刻て安置せしに其事やう/\成就して、...橘南豁 (春暉) 著 ほか『東西遊記』上冊,南江堂[ほか],明32.8. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2025-12-30)
天明3年の春⑴、熊本の岩戸の観音の巌窟⑵に五百羅漢作ってくれ〜って言われて何とか作ったみたいだよ!
注1(癸夘 は干支のことで卯年らしい)
注2(調べたところどうやらそこは今の雲巌禅寺 のようです)
って冒頭のようです。
天明は確かクレヨンしんちゃんの戦国映画のやつで聞いたことがある!
…と思ってたんですが、どうやらそれは天正だった。
天正は天明より200年くらい前だったよ。
肥後は、あんたがたどこさで聞いたことがあるなぁって思いました。
「肥後さ肥後どこさ、熊本さ」ってやつです。
だから肥後=熊本っていうのはすぐわかって嬉しかったですね。
岩戸は日本神話の天岩戸で聞いたことがあったので関係あるのかなと思って調べたら
この岩戸というのは雲巌禅寺の周辺のことらしい。
天岩戸と関係あるのかなと思ってWikiを調べたら…
何と、全く書いていない。
単に名前が同じだけっぽい。
五百羅漢は何で知ったのかなと思ったんですが、1、2年前にアマプラで
エスパー魔美を観たんです。その時、山籠りして地蔵を何体も掘ってる人の話があって
そんなことあるんだなぁって思いながら調べた時に見かけたんだと思う。
この調子で頑張って翻訳したらNoteとかにまとめたいね。
この本は江戸の本なのでいわゆるパブリックドメインで、
引用元さえしっかり記載していればOKとのことでした。
ひとまず今回はこの辺で。
※国立国会図書館のデータでは『橘南豁』と表記されてるけれど、一般的には南谿が正しいみたい。活字出版の時の誤表記?とかなのかな?
檜垣女
天明3年の春、肥後(熊本)の岩戸の観音の巌窟に、「五百羅漢を作って置きたいなー!」というある人の願いがようやく叶った。
更に、「もっと洞窟の高いところにも置きたくなってきたなぁ…」とみんなで計画したものの、洞窟の高いところなんて簡単に行けない。そのため石工をふごに入れて、縄で山の峰から吊り下げて、なんとか洞窟の高いところに行って、岩に穴を開けた。
岩には一箇所柔らかい場所があって、「妙だなぁ?」なんて思ってよく見ると、石の箱が一つ埋まっていた。
みんなで集まって開けてみると、中に一つ石箱があり、その蓋に“檜垣女形自作”と書いてあった。蓋を開けば小さい像が入っており、像は陶器のように見えた。こりゃ自分らで考えてもわからないなと思い、熊本の役所、つまりは時習館(藩校時習館)に伺った。
館の学士たちが集まってそのことを書き記したり、像を模写したり、石に彫り紙に写し、あちこちもてはやした。
その頃自分(橘南谿)も熊本にいて、人々にこの話を聞きまして、その図を何となく頼んで土産として手に入れてしまった。
この檜垣の女は有名でいろんな書物で見かける。(ここの文章修正した)
”その後、撰集17巻を筑紫(今の福岡周辺)というところに住んでいるとき、藤原さん(大弐藤原興範朝臣)お出かけがてら「お水飲んでいい?」と立ち寄ってくれたので、水をお出しして図面を差し上げたよ。
あれから年月経ったし、年老いたなぁ…。”
(その後〜年老いたなぁ…あたりまではどうやら檜垣女の文を現代…というか橘南谿さんの時代となぞらえて洒落た感じに引用してるっぽい。どう表現したら良いか悩みどころ)
また、扶桑拾葉集第2巻に檜垣の家シリーズが載っていたよ。
それに、大和物語には純友の戦乱の追討使を任された小野好古が檜垣の家を訪ねたけど、酷い有様だったって書いてた。さらに、謡本にも、昔筑前の太宰府に檜垣の小屋が設備され、大人気アイドルの白拍子が住んでたんだけど、落ちぶれちゃってこの白川のほとりに住んでたんだってさ。
檜垣の女は「自分がみすぼらしい白拍子になってしまったらなぁ」
なんて詠って詩に長け、一斉を風靡し、更に1000年後を予期して
人が訪れないところに自分の像を作って箱に入れたんだろう。
志はほとんど衰えていないなぁ。
だから好古の話も本当のことかもね。
--------------------------------------------
今のところここまで。
さらっと檜垣女形自作なんて書かれて箱に像入ってたら普通怖いなって感覚が湧くと思ったんだけど
昔の人ってのんびりしてるね。「わ〜!なんだろこれ!せや!学者さんたちに見せたろ!」ってなったんだね。
でも、橘南谿さんは妖怪を取り上げてる人って印象が強いし
これも怪談なんだろうという前提条件ありきで読んでいるからそう感じてしまうのかもしれない。
因みに藤原さん(大弐藤原興範朝臣)とのお水を渡すやり取りはどうやら檜垣女の伝説 になぞらえているらしい。(これは私がGeminiくんに「檜垣女の伝説にも同じ文面が書いてあるけどどうして?これって橘南谿さんの言葉じゃないんですか?」と訪ねたら教えてくれた。)
どうやら橘南谿さんは、檜垣女の伝説を知っていたから、同名で同じ役職の藤原さんが訪問した際に「こんな伝説があってさぁ、おんなじ名前だしあげるね」って感じで図面を渡した事を、檜垣女の伝説になぞらえて書いたらしい。粋だ。
正直檜垣女(嫗)のことももうちょっと詳しく調べたいです。
老いについて歌ってた方の像が発見されるってなんだか不思議。
像って歳月によって劣化はするけど、年老いたりしないからそのままの形で残してあげたいみたいな人が作ってくれたのかな。
閉じる⇧
江戸の人たちが可愛い。
「洞窟の高いところにも像置きたくない?」って話し合ったり
「じゃあさあ、縄持ってさぁ、ふごでさぁ…運んじゃおっか!石工!」って言い合ってたのかな。
今完全に江戸の人たちがハチワレのイメージだった。
しかも学者さんたちも「わー!なにこれー!」って模写したり本に載せちゃったり。
あと、これは南谿さんがすごい人だというのもあるんだろうけど、朝臣がフラッと家に立ち寄って
「水飲んでいい?」って来るのすごい。現代じゃ考えられないよ。
そういう江戸時代の人たちの息遣いが感じられるのすごく良い。
みんながずっと楽しそう。
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#古文 #橘南谿 #東西遊記



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